2012年06月29日
角田先生!
富士宮プロレス第4戦に登場する、新しいキャラクターの情報です!
『角田桜岳』・・・(佐野定経 通称与市)
1815年大宮連雀(現東町)に生まれ
1823年 8歳から江戸にて儒学者朝川善庵に学び・・・
1834年 帰郷し15歳で東町方役人となる・・
その後役人として手腕を発揮・・・41歳のとき日本で初めての球体の地球儀の
製作に携わる・・
万野原の開墾に取り組み、井戸(現存)を掘ったり用水路を造ったり・・
富士宮の特に万野地区の開発に地尽力を尽くす・・
1873年(明治6年)56歳で生涯を終える・・・
こんなすごいひとが・・・富士宮にいたのです!!
キャラクターになってもらうしかないっ!!
ご子孫の方には、ご了解いただきました!
地元の子どもたちにデザイン募集もお願いしました!!
明日は、富士宮市 大頂寺さんにある角田先生のお墓にスタッフでお参りしてきます!
※本日の資料・写真は、富士宮市文化課のHPより参照させていただきました。
『角田桜岳』・・・(佐野定経 通称与市)
1815年大宮連雀(現東町)に生まれ
1823年 8歳から江戸にて儒学者朝川善庵に学び・・・
1834年 帰郷し15歳で東町方役人となる・・
その後役人として手腕を発揮・・・41歳のとき日本で初めての球体の地球儀の
製作に携わる・・
万野原の開墾に取り組み、井戸(現存)を掘ったり用水路を造ったり・・
富士宮の特に万野地区の開発に地尽力を尽くす・・
1873年(明治6年)56歳で生涯を終える・・・
こんなすごいひとが・・・富士宮にいたのです!!
キャラクターになってもらうしかないっ!!
ご子孫の方には、ご了解いただきました!
地元の子どもたちにデザイン募集もお願いしました!!
明日は、富士宮市 大頂寺さんにある角田先生のお墓にスタッフでお参りしてきます!
※本日の資料・写真は、富士宮市文化課のHPより参照させていただきました。
Posted by ishikawa at 13:48│Comments(1)
この記事へのコメント
先祖のお祖父さんです。宮プロ記事にこうして載せていただきありがとうございます。
地球儀が自宅に今も残っていますよ。昔、誰かがサッカーボールの代わりにして蹴って凹んでいます。地球儀以外に第二東海道つまり現在の新東名の案を考えていたようです。面白い人だったと思います。
地球儀が自宅に今も残っていますよ。昔、誰かがサッカーボールの代わりにして蹴って凹んでいます。地球儀以外に第二東海道つまり現在の新東名の案を考えていたようです。面白い人だったと思います。
Posted by 角田幸彦 at 2016年02月04日 10:52